どーも、約束は守る男、ことJ太郎です。
さて前回の記事で、あるアーティストの名曲と比較したらおもしろいことがわかったと書いた。
あるアーティストのヒット曲とは…
森高千里の「私がオバさんになっても」でした~
あ、ナウなヤングは森高千里知らないかもしれないね。
46歳、、、だと?
可愛過ぎる…僕もリアルタイム世代ではないけどむしろ土下座してお願いしたいレベルだ。
もしかすると森高千里はオバさんにはならないかもしれないが、話が進まないので比較に移っていきたい。
「私がオバさんになっても」と"Thinking Out Loud"を比べる
アーティスト:森高千里
曲:私がオバさんになっても(一部抜粋)
来年も又サイパンに泳ぎに行きたいわ
あなたは優しい人ね私を抱き寄せてずっとこのままでいようとKISSをした
私がおばさんになっても泳ぎに連れて行くの?派手な水着はとても無理よ、若い子には負けるわ私がおばさんになっても、本当に変わらない?
とても心配だわ あなたが若い子が好きだから
そんな話は馬鹿げてる、あなたは言うけど
女ざかりは19だとあなたが言ったのよ
だけど何食わぬ顔で私を見つめて あれは冗談だったとKISSをした
※歌詞全文はこちらから↓
森高千里/歌詞:私がオバさんになっても/うたまっぷ歌詞無料検索
また、Thinking Out Loudの歌詞はこちらからどうぞ↓
グラミー最優秀楽曲賞”Thinking Out Loud”を和訳して見えたこと(前編) - 僕はレベル40
比較してみると、以下の3つのことに気付く。
①老いに伴う身体的変化で気になる部分が違う
②自分が年老いてしまった時のパートナーの愛情の変化に対する期待と不安
③男ざかりと女ざかりの捉え方
①老いに伴う身体的変化で気になる部分が違う
女性は「見た目」の変化に敏感だ。
Sheeranは見た目について歌っているのは「髪の毛が薄くなっても…」くらいで他は「足が動かなくなる」とか「君を抱き上げられなくなっても」といった身体的・体力的衰えを気にしているように思える。
一方、森高は「派手な水着は無理」、「ミニスカートは無理」、「若い子には負ける」とほぼ容姿について歌っている。
僕は男だが、見た目がおじいちゃんになることよりも今できることができなくなる方が断然嫌だ。女性の皆さんはどうなんだろう?聞く年代にも変わってきそうな気もするな。
②自分が年老いてしまった時のパートナーの愛情の変化に対する期待と不安
それぞれの歌でSheeranは「自分が年老いてしまっても愛してくれるという確信」を歌っているのに対し、森高は「自分が変わっていくこと、それに伴い相手の気持ちが薄れてしまうことへの不安」を歌っているということがわかる。
男はパートナーの思いは変わらないっていう希望的観測を多分に含む傾向がある。ちょっと例えとしては違うかもしれんが、男は「元カノはいつまでも自分のことを好きだ」って過去を美化しちゃう節がある…「男は名前を付けて保存」っていうあれやね。
対して女は自分が老いていくことで「男の移り気」=「浮気」が発生することへの不安&不信感がある(のかもしれない。)
③男ざかりと女ざかりの捉え方
森高は「女ざかりは19」だと言われたことにとても不安を感じている。
現代の感覚からするとさすがに若すぎだろ!!と突っ込まずにはいられないが、まぁ女ざかりは19歳から25歳くらいまでと捉えていたのかもしれない。
対してSheeranは男ざかりについては明言していないが、70歳のおじいちゃんになって、「足が今までのように動かなくなっても」、「ギターを弾く手が動かなくなっても」と歌っているし、40代か50代くらいまでは元気な男ざかりと捉えていると推測される。
三省堂の大辞林によると、
【男ざかり】
男が心身ともに充実し,元気いっぱい働ける年代。
【女ざかり】
女の一生のうちで,最も美しくなる年頃。また,女として最も成熟した年頃。
だそうだ。
定義的にも「男は仕事」、「女は美しさ」と固定的なジェンダー観に基づいているし、この辺りの価値観が歌に反映され、共感を呼びヒットした要因になっているのかもしれないね。
以上終了
いかがだっただろうか?
タイムラインは逆になってしまうが、Ed Sheeranの曲を受けての、森高千里のアンサーソングとしてみると、より男女のジェンダー観の違いが見えておもしろい。
というか、現代の10代の女性シンガーにぜひThinking Out Loudへのアンサーソングを作ってみてほしい。
やっぱりアナタの思いが変わらないか心配…、となるのかはたまた予想もしないアンサーになるのか…とても興味深い。