僕はレベル40

心が動いたことをかいていく

King Gnuの『三文小説』が掲げる「全ての人生の肯定」について考察する。

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待った。

とにかく待った。

1月にアルバム『CEREMONY』の後は一切の新曲がリリースされず、自分達の活動の在り方を見直していたヌーの4人。きっとこの時期を超えたら最高な楽曲が来るやろうなぁと信じてはいたんだけど中々に長い空白期間だった。

「King Gnu 泡 リリース」で検索したりさ、配信日をソワソワ待ったりしてさ。

返信不精の彼氏を持つ彼女ってのはこういう気分なんだろうな、きっと。

という訳で色々書いていく。

 

三文小説

 

 

ドラマタイアップ

King Gnuとしては『白日』以来、2回目のドラマタイアップとして「書き下ろされた」曲。この書下ろしって事が意外に重要で、鬼才・常田大希が『35歳の少女』の脚本を触媒として、King Gnuと混ぜ合わせる事によって化学変化を起こし、珠玉のバラードになってるパターンで、このドラマがあったからこそ、「この世界の誰もが君を忘れ去っても随分老けたねって今日も隣で笑うから」という涙必至のフレーズが出てきたと思うのよ。

なぜKing Gnuがドラマや映画タイアップに起用されるのか。

もちろん彼らの楽曲がクソかっこよくて、かつ話題を集めやすいってのももちろんあると思うんだけど、一番の理由は常田大希という男が彼なりの生き方とか矜持を作品に込める事を信条にしており、真摯に作品と向き合うからだと思う。

全然テーマに合ってない曲を主題歌にしてるドラマや映画が星の数ほどある中これは中々できることじゃない。

35歳の少女

とにかく見てて辛い。登場人物大体がやべー奴という中々に攻めたキャラ造形と配役。

特にやべーのは橋本愛演じる愛美と坂口健太郎演じる結人の2人。

まなちゃんはガチの束縛系ストーカーで、自分だけが彼氏を幸せにしてあげられると思ってる系の女子。ゆいと君は代行業で生計を立てておきながら、1話から時岡家を引っ掻き回し、最新話では10歳の少女に鬼電かますという実はやべー奴っぷりを発揮している。

配役的に役者として素直に感動したの鈴木保奈美と柴咲コウだ。

柴咲コウ演じる正に35歳の少女、望美と鈴木保奈美の狂気とも言える母役演技が見ていて(もちろんいい意味で)痛々しくて二人のやり取りがイチイチ刺さる。視聴率下がってきてると聞くけど、そりゃ下がるでしょと。演技が凄いがゆえにリアルで重すぎるというジレンマ。もうちょっとガス抜き的なコメディ要素あってもいいと思うけどバランスが難しい。

2話のラストで望美が「私、成長する!」と宣言したが、あれは多分彼女だけの成長ではなく、この物語の登場人物みんなが失われた25年をゆっくりと取り戻し、前に進んでいくために「成長」し辛い人生を「受容」する物語が『35歳の少女』なんだと思う。

 

その物語に寄り添うのがKing Gnuの『三文小説』という訳だ。

 

楽曲について

『Prayer X』、『the hole』の流れを組む、壮大で叙情的なバラードが誕生した。本人たちの言葉を借りるなら強強のバラード

初聴時はホント女性ボーカルをフィーチャリングしたのかと思ったもんね。井口理ボーカルの高音の極みみたいな曲。サビ後に常田ボーカルが入ってやっと間違ってなかったと確認。

個人的に注目したのは音の高さよりもその声質と発生方法。男諸君はファルセットで通しでぜひ歌ってみて欲しい。実は裏声なら結構出る音程もあるんだけどこの高さの音を気持ちよく聴かせる事が一番難しい。つまり楽曲として成立させる彼のボーカリゼーションに脱帽。あれだけ売れても全然ポップでじゃないし、売れ線とかと本当に遠いところにいるのがすごい。そんくらいファルセット全開の女性キーな曲。

対照的にリズム隊はゴリゴリで激渋。もはやバラードで定番となった新井先生のシンセベースの地を這う低音といい、せきゆーの後半叩きまくる激しいドラミングといい、「迫力」のあるバラードで彼らにしか鳴らせない音になってる。特に1番・2番サビのドラムと最後の大サビのドラムをよーーーーく聴いて欲しい。荒ぶり方と手数が半端じゃない、バラードのドラミングじゃねぇから!!って音が聴ける。これに呼応して、井口ボーカルも音程を変え、さらにキーがありドラマチックになるという計算されつくしたプロダクツ。最強。

個人的にはこの手法に常田ギターを加えてみて欲しいんだが、いつか聴いてみたいな~。

楽曲テーマ

さて、三文小説。『千両役者』との両A面リリース曲。どっちもちょっと椎名林檎の曲っぽいタイトルよね。漢字で四文字。

 

まず結論から言うと、この楽曲のテーマは「全ての人生を肯定すること」だ。

 

「三文」は三文芝居とかのフレーズで使われる事が多いけど、要は「役に立たないもの・価値のないもの」という意味。これに「小説」がついて、値打ちの無い小説=「三文小説」の意味。

僕らの人生が三文小説だとしても投げ売る気は無いね

止めどなく流るる泪雨が小説のように人生を何章にも区切ってくれるから

 という歌詞があるように、この小説とは「ライフストーリー」の意味で「人生」の例えてとして使われている。

自分たちの人生が三文小説のように取るに足らないものだとしても構わない、年を取って皺の数が増えて、自分たちが老いていく事もまた肯定している。

あの頃の輝きが息を潜めたとしても随分老けたねって明日も隣で笑うから

 

『35歳の少女』に単純に当てはめると結人が望美に語り掛けるような歌詞に思えるし、望美が母に向け気持ちと思えなくもない。それくらいユニバーサルなメッセージではあるけど、先ほど述べたように、それぞれの辛い人生を足掻いた上で、少しずつ受け入れていくというテーマともぴったり合っている。

 

これこそが常田大希という男が、『35歳の少女』という作品を基に、しっかりと練り上げたテーマなんじゃないかな。

 

全ての物事は表裏一体。「早起きは三文の徳」っていう言葉通り三文小説みたいな人生もまた肯定されるべきというメッセージを受け取ってこの三文考察を〆たい。

いかがだったろうか

色々書いたけど今聴いてみたいのは柴咲コウが歌う『三文小説』。

ドラマのどこか重要な局面でそんなサプライズねーかなー。あったら感涙間違い無し。

 

多分『千両役者』とは対の存在になっているのでフルで聴いたらそっちも色々書いていきたい。

 

それではアディオス。

 

 

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