時は2021年。
SNSの発展に伴いアーティストの自己表現・ブランディングの形が一昔前では考えられないほど多様化していたところに、コロナ禍でファンとの交流や配信の形が現在進行形で発展している。
今日は最近注目している「小林私」を切り口に新しい時代のアーティストとファンの距離感について色々書いていきたい。
アーティストが試される時代
もはや語るまでもなく、2000年代前半までは音楽アーティストの露出や娯楽バラエティはテレビ中心の時代であった。Mステは今よりもアーティストとタモさんのトークと演奏にフォーカスを当てていたし、うたばんやHEY×3なんかの音楽バラエティが高視聴率を取り、POPJAMはアーティストのパフォーマンスに全振りした構成だったと記憶している。
そんな栄華も今や昔、ほとんどの音楽番組が終了。唯一レガシー的に生き残ったMステは視聴者のランキングやコメント等が番組の多くを占めるようになってきたし、関ジャムのようによほど切り口が新鮮で面白い番組で無ければ音楽番組は生き残れなくなった時代である。
なぜなのか?
一つのデカい要因としてテレビには「相互性」が無い事がある。
特に若年層にはかなり配信文化が浸透していて、 インスタやTikTokライブを筆頭にアーティストと直にコミュニケーションできる機会がもう既にあるのだ。大好きなあのアーティストが自分のコメントを読む事はもちろん、自分が顔出しコラボでフィーチャーされる可能性すらあるのだ。そんなプレミアムな体験できるならそりゃ見るだけのテレビの価値ってなんだよとなりますわ。
しかもその気になればほとんどのアーティストのパフォーマンスをYOUTUBEでいつでもどこでも見られてしまう時代。「音楽パフォーマンスを見る事」の価値は間違い無く低下した。だって無料なんだもんよ。そこを入口に「付加価値」をアーティスト側から提供し、ファンをどう定着させるかを試行錯誤してるんだと思う。
かつてはそりゃあアーティストなんて神そのものでしたよ。ミステリアスの権化。同じ世界に存在するかも怪しい。もしも僕が多感な時期にバンプの藤君と直に話せたらその日はガンギマリで寝れないと思うし人生変わってた可能性すらある。
以上で述べてきたように、テレビ番組を中心としたメディアが露出の中心であった時代からSNSでの発信方法やそもそものスタンス、提供できる付加価値でアーティストが試される時代になってきているのは普段アンテナを立てている人ならわかっている事だと思う。
小林私というアーティストについて
小林私というアーティストを知っているだろうか?
近年、大大大豊作中のシンガーソングライターからまた面白い若手が出てきた。
小林 私(こばやし わたし 1999年1月18日-)は、日本のシンガーソングライター、配信者、代表取締役、ライター。男性。クロニカル大崎とのユニット「このままじゃまだ死ねない」としても活動している。主にYouTubeで活動している。
多摩美術大学(タマビ)をで卒業したばかりの22歳。その年で絵描きで配信者で社長で童貞の綺麗な顔したシンガーソングライターって設定盛りすぎてない?
かと思えば名前の由来は
「私」という単語は他者がいないと存在しえない概念であるため、客観性を持った名前をつけた。Wikipediaより
とかいう驚くほど哲学的で素敵な理由。他者を意識するための「私」とは恐れ入る。
一歩間違えたら器用貧乏どころかただのネタ野郎に成り下がるところだが、驚くほど楽曲が良いのですべて魅力的に見えてくる。
特に声とメロディーが癖になりすぎる。ハスキーとも違う「ダミ声」が人を選ぶのは間違いない。けれど気持ち良くなり出したら時すでに遅し、耳にこびりついて離れない。最近完全オーガニック、無農薬有機野菜みたいな声のアーティストばかり好んで聴いていたので、この意図的な歪みが逆に刺さるというね。イントロ、King Gnuの『Vinyl』を思わせるドラムイントロから始まるビート感がまた気持ち良さに拍車をかける。
歌詞も誰にでも思い当たる事を切なく切り取る才能に長けてると思う。めちゃグッとくる。
貴方が去って 僕らが去って
見知らぬ誰かが行き交っていても僕らの生活は残ってる
貴方が行く先がまたここのような場所になればいい
既発曲で一番好きな曲は『悲しみのレモンサワー』。
先輩のバーに書き下ろした曲。タイトルから醸し出される大学生感がまず好き。
50代でタイトルにレモンサワーってつけないじゃないですか、絶対。瞬間を切り取った感覚+低音ボイスと投げっぱなしたような歌い方にエモいメロディが重なって、これまたエンドレスリピートしちゃう曲に仕上がってる。
「悲しみのレモンサワー」は大学の先輩がやってるバー、陳陳さんが一周年記念のイベントで作った曲で、タイトルは陳陳さんの看板メニューからそのままとってます。なのでロケ地は陳陳!田坂さんご協力ありがとうございます!
— 小林私 watashi kobayashi (@koba_watashi) June 20, 2020
いい加減スマホの充電器取りに行きます!
いや、先輩の名前!!
かと思えば童貞が書いたとは到底思えない、募る未練を生々しく表現したパンチライン。レモンサワーという爽やかなタイトルと口当たりが逆に悲しみを誘う意味合いが生まれてて、恐れ入る。
君を飲み込んだら悲しみの味がしたそんな歌さえ歌えないのは
意味もなく酔いしれ好いたことも忘れて温いベッドに甘んじて
舌先ばかりでその場を誤魔化して
こんな生活をいつまで続けて何を得るのだろう
これらの曲を集めた2021年リリースのアルバム、『健康を患う』はもっと評価されるべき名盤だと思うのでぜひチェックを。
その他にもCreepy Nutsの代表曲からボカロPてにをはの代表曲等多ジャンルに渡ったカバー集、『他輝』もオススメしたい。
アーティストの活動とファンとの距離感
とまぁ述べてきたようにミュージシャンとしてはギターを中心とした歌メロとリズムのバランスが良い楽曲をリリースしているが、そこにとどまらないYoutuberとしての活動が彼のキャラ造形に面白みを付加している。
動画の幅は広い。オリジナル、カバーの弾き語りからゲーム配信、「卒業式前夜配信」等の雑談、「ダイパのポケモン全種(456匹)描くまで終われないミュージシャン」と題した生放送まで手広~~~く行っている。
サムネ詐欺がすごい。Youtubeのコメントでも愛がある、けれどもメジャーに将来行くときに障害あるんじゃねぇかってレベルで好き放題いじられている。この親近感が彼のキャラづくりに一役買ってるし、歌う事を除けば普通の配信者に近い。
どうします?B’zの稲葉さんがポケモンお絵描き配信してたら?タイトルとサムネ10度見しますよね?
流石にそれは極端な話だが、20年前では考えられない距離感でアーテイストがファンと交流し、自分の意志でコミュニケーションを取り、自分を表現しようとしているのがとても興味深い。
これってアーテイストがどう生きていくか、どう自分を魅せ、発信していくのかという根本的な問いに繋がっていると思う。
時代が違えば桜井さんの弾き語り配信で自分のコメント読んでくれる世界線があった・・・かもしれないんですよね。スゲエ時代だ。
いかがだったろうか
今回は「小林私」 にフィーチャーして色々と書いたけど、各アーテイストが自分をどうブランディングするか試行錯誤している様を見るのはとても面白いし驚きがある。
「Creepy Nuts」なんかもリスナーいじりを中心としたトークスキルの高さからラジオパーソナリティとして評価され、普段ヒップホップを聴かない層のファンを獲得している例があったりする。余談だけどラジオが復活してきている要因の一つにこの「相互性」が1周して時代に追いついた事もあるんじゃないかと思ってる。
「鳴らす音が全て」から「鳴らす音のクオリティは大前提+α」の時代が到来している。
これからの音楽、アーティスト、ファンがどう繋がっていくのか、アンテナを張って見届けたい。