※この文章はただのお気持ち表明だよ。
いやね。ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021中止の報を受けまして、思うところがあるんですよ。
先月だったか俵万智さんがこんな事をつぶやいていました。
たとえば「安心安全貯金」というのがあったとして、私たちがリモートや時短や我慢でコツコツ貯めてきたものを、開会式でパーっと使われるような感じ?
— 俵万智 (@tawara_machi) June 21, 2021
自分、まさにこの感じです。いや、オリンピックを開催すんなって言いたいんじゃないんですよ。でもオリンピックが様々な犠牲の上に成り立つってのは違うんじゃないかと思うんですよね。
別に音楽界だけの話じゃない、演劇界もそうかもしれない。僕は享受する側の人間だから我慢だけすりゃいいけど、提供する側からしたらエンタメ業界は大変な犠牲とリスクに対する責任と感染対策を負っているし、飲食業や観光業のような業種もそうでしょうよ。
つまるところ僕が理解できないのは、イチ県の医師会からの要請一発でひと月前に中止しなければならない民間主催の音楽フェスと国民から一定の反発があるにも関わらず流せるオリンピックってのは不公平すぎやしないかい?理不尽すぎやしないかい?という点です。
要請アナウンスの時期や内容から推測するに、身内からそんな意見出たので叩かれないためにとりあえず出しました、表明しましたというレベルにしか思えなかったし、実際に感染者を出していないフェスやライブの前例は既にいくつもある事をどれだけあるかを考慮し、科学的な検証の上に出された要請とは到底思えなかった。
昨年フジロックが開催できなかった時とは決定的に違うんですよね。対策方法や方針もスタッフの手際もオーディエンスのマナーも定着してなかった昨年とは違うんですよ。
エンターテインメントは無くなっても急には死なないかもしれない。
けど、目に見えなくとも多くの人々に活力を与え生きる希望を与えてきたのは事実だ。数字には出ないけど、人々はゆるやかに死んでいくだろう。
当然その職業に従事する人々の雇用を生み、経済を回している事実も忘れてはいけない。
勧告や要請を出す側にそれだけの覚悟と責任はあるのか?
開催直前に出した結果がどうなるのか、想像してんのか?関係者の生活は?
そんな事を思わずにはいられない7月7日、七夕の夜だった。
星に願いを、なんて言えるのなら日本に、世界に早くエンタメが戻りますようにと切にそう願う。
みんなが幸せになる方法が見つかりますように。
今この国にあるのは曖昧なルールと同調圧力。それで守られる人もいれば、殺される人もいる。誰かが不幸になるんじゃなくて、みんなで幸せになる方法はないのかな。 https://t.co/874xXPKYtn
— 井口理 (@Satoru_191) July 7, 2021
追記)
これに付随して、「中止じゃなくて配信にすればいいのに」という意見にも一言。
あくまでもオーディエンスの立場だが、そんなに単純じゃねぇんだよ!とは言いたい。
コロナ禍において、配信ライブも何度も観たし、生のライブにも行った。
その上で思う事は配信はそれ自体は楽しいし、ありがたいけど「生のライブの代わりにはならない、なりえない」というのが僕の意見だ。
ライブってのは「非日常を味わえる」ってのが求められるんですよね。遠方に行くためのプランニング、目当てのアーティストに会うという妄想、会場に行くまでの道程、ご当地メシ・宿、クソ暑い会場と汗だくの客、そしてもちろん目の前で行われるアーティストの最高のパフォーマンス。
家で動画を観ても結局は日常の域を出ないんでね。プランニングやチケット争奪戦から帰宅までのトータルでライブ楽しんでるんで。
配信はお手軽すぎて僕には合わなかった。そういう人もいるんやなと覚えててもらえれば幸いです。