僕はレベル40

心が動いたことをかいていく

プロミシング・ヤング・ウーマンは僕の話だった

 

頭をバールのようなものでガンと殴られた気がした。

2022年5月にアマゾンプライムで配信されたこの映画を観た時、映画館に観に行かなかった事を心の底から悔やんだ。まぁいつか配信されてからでいいや、と思った自分を叱り飛ばしたいぐらい。

まぁそうは言っても仕方ないし、視聴直後で色々と語りたい気分なので感想書いていく。

(観てない人は配信サービスにてどうぞ。ぜひ×∞)

www.amazon.co.jp

 

ポリコレと物語における必然性

僕は所謂ポリティカルコレクトネスを映画や小説等に持ち込まれるのが大嫌いです。なぜなら多くの映画に「物語における必然性」が無く、批判を回避するためにとって付けたようにしか見えないポリコレ要素が入り込み、作品をスポイルしかねない問題にまでなっている、と強く思ってるからだ。特にココ数年ね。

「形だけの」ダイバーシティやガールズエンパワーメント要素が申し訳程度に映画に入れられた時、それまでどんなに最高だったとしても興醒めしてしまう。

近年の超大作でパッと思い出されるのは『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』におけるフィンとローズの「人種を超えた崇高な愛」や『アベンジャーズ/エンドゲーム』終盤の「女性ヒーロー大集合、悪の親玉はウチらに任せて!」的な展開が差し込まれるともうガン萎えなんですよね。

 

その点、本作『プロミシング・ヤング・ウーマン』は未来ある女性が搾取され、不当な扱いを受けた事を糾弾し続け、作品を通して社会に、人々の価値観に問い直しを求める作品になっている。

このフェミニズム的な視点は本作の肝であり、さらにはフェミニズムを超えた普遍的な問いかけすらもはらんでいる。しかもエンタメとしてもめちゃめちゃ面白くしつつ、だ。

ここからはネタバレしつつ語っていく。

 

独創性

映画や小説において、あなたは何の要素を大事にしますか?

 

僕はオリジナリティです。

このコンテンツが溢れた世界でなお、「こんなの初めてぇぇ」とどれだけ思わせてくれるかをかなり重要視している。

その意味で本作は所謂レイプリベンジものとして、唯一無二だった。やっぱアカデミー脚本賞受賞作は正にレベルが違うね。

復讐相手をあくまでも「社会的に抹殺」する事、加えて直接的に関与していない「傍観者に対しての問い直し」の2つの柱が主人公キャシーの行動原理となっている点がユニーク。

復讐劇として、レイピストをスカッとジェノサイドしていく話展開にもできたと思うんですよね。でもそうしちゃうと、ただの闇堕ちダークヒーローものでよくある展開になってしまうし、それではエンタメとして消費されるだけで本質的な問題提起には繋がらない。

ここで重要なのは、キャシーを確固たる信念を持った不屈超人として描くのではなく非常に不安定な存在として描いている点だ。

過去に傷を負い、サイコパス化し執拗に「世直し」する事。ライアンとの関係性の中で幸せを掴む直前まで行った事。一度は前に進もうと思った事。天国から地獄へ突き落された事。そして最期には復讐者となり果てた事。序盤の何が目的なのかわからないキャシーの行動からラストの衝撃的な「プランB」まで全て機能している。

 

保守的な母親の期待や友人達の現環境に相当揺さぶられる、一人のフィクショナルだけどリアルなキャラクターを描いたエメラルド・フェネル監督と最高に演じきったキャシー役のキャリー・マリガンには拍手1時間くらい送りたい。

ハッピーエンディング頼むぅと願っていた頃のキャシー

 

ライアンは僕だった

ハッピーエンディング頼むぅと願っていた頃のライアン

本題です。

鑑賞後からもう頭ぐるぐるしてるんですけど、僕はライアンでした。正確にはライアンになっても1ミリもおかしくない、といったとこか。

そういう意味でプロミシング・ヤング・ウーマンは完全に僕の話だった

僕がこの映画に感動したのは、一見ナイスガイに見えて主人公をハッピーエンディングへの推進力としそうな恋人役のライアンをある意味でレイピストのアレクサンダーとは違う種類のクソヤローに描きつつ、それがとてもとても現実感をもっているという点だ。

学生時代からキャシーに密かに恋心を持ちつつ前半に登場するクラブでのお持ち帰りヤローどもとは明確に違く描かれるライアン。しかしこのライアンすらもニーナへの暴行の傍観者であった事が発覚し、キャシー失踪後の刑事への応答やアルの結婚式での振る舞いまでもう本当にクソヤローなんだけど、「自分がこういう行動してもおかしくないな」とも思わせるものだった。

別に暴行事件に限った事ではない。窃盗でもいじめでも、なんならたばこのポイ捨てでもいいかもしれん。

学生時代に親友がイリーガルな、あるいはグレーな行動をした場合に「お前は絶対にぶれないのか?」と問われたら自分はどうか。

さらには自分にとって不都合な存在がうまく消えてくれた時、「お前は正しく行動できるのか?」と問われたら自分はどうか。

 

自分がナイスガイかは置いといてだな、少なくともそう見えるよう行動してきたつもりではあったが、この映画を観た今マジで自信が無くなってしまった。レイピストやレイシストに自分がなる事は無いと思うけど、状況次第でライアンにはなっていたかもしれない。

人間の善悪という二元論では割り切れない曖昧な行動原理を掘り下げられ気分とでも言うんだろうか。とにかく本質に迫られすぎて、3日くらい経っても心にずしんときているままだ。

 

一本の映画を、しかもフィクション作品を観てここまで考えさせられるとは思いもしなかった。

 

いかがだったろうか

作品中にはあなたはどうする?(What do you think?)なんて一言も出てこない。でも何かしら考えざるをえないってのが真に良い作品だと思う。

批判回避や配慮のために女性を取り巻く問題を差し込んだとかそんな事は一切ない、作品のテーマこそが社会的な問いかけをはらんでおり、全てのシーンが機能している作品…こういうのを待ってた。

しっかもエメラルド・フェネルはこれが監督としての長編デビュー作て。これからも同時代で追うべき人に出会えたのが素直に嬉しいね。

その他にもあえてどギツイ色使いにしている絵作りやパリス・ヒルトンとブリトニー・スピアーズの楽曲チョイスであったりとか無数に語るべきポイントがあるしなぁ。

 

ここまで読んだ人に未視聴者はいないと思うので、ぜひなんでも感想を聞けたら嬉しい。

 

それではアデュー。

 

 

 

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