とある音楽評論家のYOASOBI評がこちら。
アルバム通してちゃんと聴いた。この気恥ずかしさは嫌いじゃないんだけど、このビートの単調さと音色・音圧のショボさが世間で許容されてるのはちょっと信じたがたい。少なくとも家のスピーカーで聴く音楽じゃないですね
— 宇野維正 (@uno_kore) January 18, 2021
THE BOOK by YOASOBI https://t.co/3by0Aqozun
この評を目にしてまず思ったのが、「あまりにも不毛すぎる」という事だ。
ヒャダ×体育で公開していたように、コンポーザーのAyaseは自宅のワンルームでPCのみで打ち込みでDIY的に作品を作りつつも、他のアーティストがしなかった「あるマジック」を使い、爆発的な人気を得た。そんな音圧や音色だけを売りにしていないアーティストに音色・音圧がショボいと言って突き放す事になんの意味があるんだろうか。
まぁ別に本人は呟いただけなんだから意味なんてねぇよと思うかもしれんが、楽しんで聴いてる人もいるのにぃ、ムキー!と、なんか悶々としてたら、建設的な話がしたくなったので、YOASOBIというアーティストが起こしたイノベーションについて考えてみた。
破壊的イノベーション
「破壊的イノベーション」という言葉をご存知だろうか?
「既存の主要顧客には性能が低すぎて魅力的に映らないものの、新しい顧客やそれほど要求が厳しくない顧客にとってはシンプルで使い勝手が良く、価格も手頃な製品をもたらす」タイプのイノベーションの事を言う。(引用:日本の家電メーカーは再び世界を席巻できるか)
昔はウン百万円、下手すると一千万円かかる設備が、今はPCに入っている時代である。スタジオでしかできなかったミキシング作業がDTMの進化という破壊的イノベーションにより、ローエンドユーザーが満足するだけの音はもう作れてしまっているのだ。上の図に追記するとこんな感じ。
YOASOBIの起こしたイノベーション
「技術の進歩により、YOASOBIの音は大多数のローエンドユーザーを満足させている」という状態で、彼らが行った事は他のアーティストとの差別化である。
そう、どうすれば人が音楽でより強く感動するか、そして他のアーティストがやっていない新しい事を考えた結果「NOVEL INTO MUSIC=小説を音楽にする」という手法を使ったのである。 これこそがYOASOBIの核心的なコンセプトであり革新的イノベーションであった。
原作小説「タナトスの誘惑」(星野舞夜 著):https://monogatary.com/story/33826
音楽⇨小説⇨MV(映像)を順ぐりに味わう事でよりその物語を理解しエモくなれるという発明。例えば、彼らの代表作「夜に駆ける」が実は「自殺を図る男女の話」である事に気づいて驚き、歌詞の真の内容を理解しハッとする、という流れを辿った人は多いだろう。さらにハマる人は物語を「自殺を図る男女」の話ではなく、「彼女が元々死神だったのでは?」などと考察していく。そうなるともはや沼である。アニメーションで映像化もされているので、深く考えたい人は小説や歌詞とのリンクを考察できるし、ライト層にも「二人で墜ちていく物語なんだ」というのはなんとなくわかる仕組みになっている。実に気が利いている。
人は繰り返す事で記憶が定着し、深みにハマっていくという事に異論はないと思うが、今説明したように多角的に攻めたという事が偉い。
もちろんコンポーザーAyaseのメロディセンスやVo. ikuraの伸びやかな歌声等たくさんの要素はあるものの、やはりそのコンセプトが斬新で、ユニットの個性を際立たせた事で話題となりヒットに結びついたというのは間違いない。
スマホやPCでストリーミングの音楽を聴いている人間が加速度的に増えている時代、音色がどうだ、音圧がどうだと評論するよりも、より人が音楽に感動するにはどうアプローチすれば良いのかという事を考え、真摯に取り組んだYOASOBIを評価すべきだと僕は思う。彼らこそ、高価な機材がなくってもその身とPCさえあれば1億再生も夢じゃないという可能性の証左ではないか。
いかがだったろうか
まとめると、YOASOBIが技術の進歩による「破壊的イノベーション」と彼ら自身でデザインした「革新的イノベーション」の産んだとても現代的なユニットなんだよっていうのが僕の言いたかった事です。
もう2020年代なんだし、音楽の楽しみ方も色々だ。少なくとも僕はアーティスト達が提示する新しい音楽の楽しみ方を最大限美味しく味わおうと思う。そっちの方がHAPPYになれそうだし!
これからも彼らの起こすマジックを楽しみにしている。