僕はレベル40

心が動いたことをかいていく

なぜ藤井風は岡山弁と標準語で歌い分けているのか?方言で歌う深い理由について

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なぜ方言で歌うのか?

2021年1月、念願の藤井風のライブに行ってきた。

感動した要素を挙げるとキリがないんだけども、一番感動したのは歌詞に込められたメッセージをダイレクトに彼の声に乗せて受け取る事ができた事。MCや楽曲で使われる岡山弁の魅力にすっかり心打たれてしまった。

そんな体験ができた後で藤井風モードになっていることもあって、今日は彼の歌詞世界にフォーカスし、テーマを「なぜ藤井風は岡山弁曲と標準語で歌い分けているのか、その理由」について考えていきたい。

藤井風の音楽の歌詞について、こちらで色々書いたので先に読むとより理解してもらえるやもしれませぬ↓ 

imlv40.hatenablog.com

 

1.自分の心情や状況をリアルに描写するため

こちらは先だっていしわたり淳治氏が言及されている部分でもある。曰く「地方出身者にとって本当の意味で自分の言葉とは、方言なんだよなあ、というものすごく基本的なことに気づかされた。」との事。

初めて『何なんw』を聴いた時のインパクトは時間が経った今でもまだ覚えている。

え?ワシ?青さ粉?・・・は?ってなったしな。

ただ、方言の歌が珍しいかっていうとそうでもない。特に関西弁(大阪弁)の歌はやしきたかじんの『やっぱ好きやねん』、ドリカムの『大阪LOVER』、ET-KINGの『愛しい人へ』とか有名無名関係なくインパクトある曲がたくさん作られてきた。だけどそれ以外の方言ってどうしても一発ネタ的になりがちだ。

そこを大胆に岡山弁で攻めたのが『何なんw』だったり『へでもねーよ』だったりする。

岡山弁の曲・標準語の曲

岡山弁:何なんw、さよならべいべ、へでもねーよ、もうええわ

標準語:上以外(優しさ、風よ、特にない等)

 

書きながら一つ気づいた事をなんとか言語化すると、彼の内面や心情に直接関わるリアルな歌詞は「岡山弁」で書かれ、フィクショナルな物語を語り口にして彼の思いを一般へと昇華させた場合は「標準語」で書いている(ような気がする)。

 

例えば『さよならべいべ』の歌詞は一人称が「わし」で、正に自分が故郷を離れる様を歌っており、彼の心情や状況と大きく重なるので岡山弁で書かれていると推測できる。

わしかてずっと一緒におりたかったわ

別れはみんないつか通る道じゃんか

対して、標準語の歌詞に「わたし」という女性目線の曲が多いのは彼が日々感じている事をフィクショナルな物語の主人公を創作し、第3者的に語らせ、より効果的に、そして表現に幅を持たせているからなのかなと。

ちっぽけで からっぽで 何にも持ってない

優しさに 触れるたび わたしは恥ずかしい

もちろんどの曲も彼の感じた事が歌詞のベースにはなっていると思うが、自分の境遇とか心情の濃淡、そして歌詞の符割りでこの辺り巧みに使い分けてる。これを戦略的にやってたらめちゃすごいし、感覚で作詞してるんだとしたらまさしく天才と言えると思う。

2.方言が楽曲のグルーヴを生むため

当然の事ではあるんだが歌、つまり人の声も曲を構成する楽器の一部だ。

楽曲のビートに対する歌詞の符割が標準語と岡山弁では決定的に違う。岡山弁の独特な"じゃ(jya)"とか"生活しょん(shon)"とかのスピード感が標準語よりもうまくハマる事が多い。あくまでも「歌詞」だからね。上の歌詞が「僕だってずっと一緒にいたかったよ」だったら・・・って考えたらわかりやすいかな?

「キッッツ!!!」ってならないすか?もたっとしてるしビートアプローチもニュアンスも全然違うよね。

藤井風の楽曲全般に感じることだけど、特に『何なんw』とか『へでもねーよ』からはかなりブラックミュージック的な、とりわけHIPHOP的なビートや歌の拍の置き方を感じる。

国民的ラッパーKREVAはレジェンド久保田利伸の兄貴から音楽における「ポケット」の概念を教えてもらったという

1小節に音符が4つあったとして、でも、それは均等な4つではありません。音符と音符の間が長かったり短かったりして、1小節の中で辻褄が合っています。その音符と音符の間を久保田さんは“ポケット”と言いました。音符と音符の間のポケットのどのあたりに声を乗せるかで、ヴォーカリストの個性が表れると教えてくれた。

引用:ラッパーのKREVAが語るモチベーションを上げた久保田利伸の言葉 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

J-POPと違う音の捉え方が求められるブラックミュージック。五線紙に乗らない微妙なニュアンスの違いでほんっとにCoolかダサイかが決まってしまう。多分、岡山弁の言葉とイントネーションが、音として絶妙に「ポケット」に入っていて、標準語には無いグルーヴを生み、それが聴き心地の良さを生んでいるんだと思う。そういう目線に立って、よーく岡山弁で歌われた歌詞を聴いてみてほしい。「あんたのその歯にはさがった青さ粉に」の1フレーズだけとっても言葉のストップ感が違うのがよくわかると思う。

 

このあたり一番わかりやすい例としてレジェンドラッパー、TOKONA-Xの『知らざあ言って聞かせやSHOW』なんかがある。名古屋弁全開の歌詞が生むリアルさと音としてのユニークさがあるからこそ今なお語り継がれる日本語ラップクラシック担ってるんだと思う。

バカヤロウたわけ おみゃあら並べ お前とお前とお前だ 気を付けして並べ

なにをそんな怒っとんのって 俺にもわからんで 怒っとんだってこと

むずかすぎるぜビジネス 曲かいて歌っとるだけでええだろ

よくよく考えると方言で歌われたラップ曲ってたくさんあるし、Hood(地元)をレぺゼンするリアルさと方言が生み出すグルーヴってのがジャンルと親和性があるのは間違いない。藤井風が聴いてきたブラックミュージックや地元への愛情を考えるとやっぱり関係があるのかも。

 

 

 まとめ

1.岡山弁は自分の心情や境遇をダイレクトに表す時に使われている。

 

2.標準語はより大衆性や普遍性を持つ歌詞に昇華させる場合に、フィクションとしての物語の主人公の語り口として使われている

 

3.楽曲に対するビートアプローチでも言葉を使い分けている。方言がグルーヴを生む

いかがだったろうか

音楽的にも意味的にも岡山弁と標準語を歌い分ける重要な意味があると再確認できた。 

これからも多くのファンが自由研究として藤井風の音楽について考え、語ってくれたらとても嬉しい。まだまだ語るべきポイントはいっぱいあると思うんよね。

 

それではアデュー。

 

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  • アーティスト:藤井 風
  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: CD
 

 

 

 

 

 

 

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