はい、突然ですがこの記事にあまり意味はないかもしれません。
身も蓋も無い事を言ってしまえば、藤井風の歌詞はワンフレーズだけ切り取って、「ココがすごいよ藤井風!!」と言えるタイプの歌ではないんですよ。一曲の文脈の中でこそ意味を持つ歌詞が多いし、あるいは曲の展開や調とリンクしていたりするし。
だけどあえて、そこはあえてですよ!
この文章を読んでくれた人が、あぁそういう解釈や感じ方もあるのかと思ってくれたら、または彼の事を良く知らない人が曲を聴くきっかけになればという思いで書いていく。
前置き
藤井風の書く歌詞についてまず一言前置きしたい。
これは本人がライブのMCにて言っていたことだが、「歌詞は神様がくれたギフト。自分は歌いながらそれを噛みしめている」という趣旨の発言をしていた。また、過去にオールナイトニッポンでも「歌詞はメロディーに呼ばれる言葉を探せ」とリスナーからの質問に答えていた。素直に痺れる憧れる。
この発言から考えるに、彼は所謂「降りてくる」系の作詞家であり、天から降ってきた歌詞を歌にしているという事になる。そんな神の子みたいな人間いるんか?
僕みたいに左脳で物事の8割を考えているような人間からしたらにわかには信じがたいんだけど、この普遍的で人生の諸行無常を歌にしたような詞を、20歳そこそこの人間が無意識的に書いているっていう事実があるんだから驚くほかない。
それでは紹介していく
何なんw
Pick upフレーズ 1
あんたのその歯にはさがった青さ粉に
ふれるべきか否かで少し悩んでる
口にしない方がいい真実もあるから
藤井風の記念すべきデビューシングル。
いいですか? これは1発目、一生に一度しかない1stシングルの第1フレーズに「あんたのその歯にはさがった青さ粉に ふれるべきか否かで少し悩んでる」ですよ?控えめに言って狂ってるでしょ。「はさがった」とか「青さ粉」という聞きなれない、でもなんとなく意味がわかるコミカルなフレーズの後に「口にしない方がいい真実もある」と急に真理を突く。このギャップね。この「ワードチョイスのギャップ」が曲に落差と萌えを作り、曲トータルでのグルーヴを生んでいる事が多々ある。
青ノリが歯についてるのを言う言わないのミクロな問いと誰しもが思い当たる永遠の謎、真実を言う or 言わないという人生の問いにもなるようなマクロな問いの二重構造になっているのが深すぎる。岡山弁のインパクトも相まって忘れられないフレーズ。
罪の香り
Pick upフレーズ 2
おっと 罪の香り 抜き足差し足忍び足
おっと 罪の香り 逆らい難い嫌な匂い
このフレーズを初めて聴いた時に、「あぁ、この人やべー奴やな」と興奮した事を覚えている。たぶん、世界で初めて「おっと」と「罪」を組み合わせて使った人間だと思う。そして、その後抜き足差し足忍び足て。頭おかしいんちゃう?(とても褒めています)よくよく考えると「罪の香り」が「抜き足差し足忍び足」でこっそりと忍び寄ってくるニュアンスがとても出てるし、このフレッシュな言葉選びが最高。その後の「逆らい難い嫌な匂い」も初めて聞くフレーズにしてはとてもリズミカル。全体的に「り」、「し」、「い」等の「い(i)」段を意図的に用いる事でリズムを生み出している。
そして「嫌な匂い」の裏に鳴るメロディは綺麗になる音でなく、こちらも意図して違和感ある音階にしている。それがまた歌詞の「嫌な匂い」に対応している。そして最後、「ちょっと もうヤメたり」とパターン変えつつ韻を踏む。
このように多重に練られて紡がれた糸の積み重ねに、気づかない内に感動させられてしまうんだと思う。
青春病
Pick upフレーズ 3 and 4
青春の病に侵され儚いものばかり求めて
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色 青春にサヨナラを
切れど切れど纏わりつく泥の渦に生きてる
この体は先も見えぬ熱を持て余してる
野ざらしにされた場所でただ漂う獣に
心奪われたことなど一度たりと無いのに
青春病からは2フレーズ。っていうか一曲丸ごと全部です。
青春を賛美する楽曲は多けれど、それを「病」に例えて克服・脱却しようとする曲は珍しい。こういう囚われた呪縛から解脱しようとするというのが、彼の基本スタンス。そしてそうは言っても「人間だもの」と言わんばかりの葛藤の中でもがく様子を描写しているのがこのフレーズの素敵なところ。青春はキラキラしてなんかいない。真剣に生きているからこそ喜怒哀楽入り混じった「どどめ色」なんだと認識させてくれる。
人の業とか定められた運命とかがあるかはわからないけど、毎日必死に纏わりついてくるしがらみを払いながら泥の渦に生きる人生。そんな中でもただひたすらにため込んだ情熱とか心の煌めきを「持て余してる」という表現が、実に青春の病に冒されているニュアンスが出ていて素晴らしい。
調子のっちゃって
Pick upフレーズ 5 and 6
着色の言葉 無味無臭の心
行き違って 行き違って
調子のっちゃって
自分で一人 生きてきたって
果たしたって 当たり前なんてない
自分のモンなんてない その一瞬の隙を運命は 見逃してくれない
ちょっと待ったって!
この曲も2つピックアップ。キラーフレーズっていうか言葉の表現が秀逸過ぎて震えた。特に「着色の言葉 無味無臭の心」!自分が今までしてきた、されてきた心無い営業トークを思い出して恐ろしくなるレベル。そりゃ行き違って調子にのっちゃうわなと。
あと、「 その一瞬の隙を運命は 見逃してくれない」も好き。感謝とか周りのおかげとかいう事を忘れてついつい調子にのっちゃう事を「隙」って表現してると思うんだけど、何か目に見えない運命の輪みたいな存在はその隙を見逃さず、スルリと抜けていってしまうよって警告してると解釈してる。そしてラストに「ちょっと待ったって」、「調子のっちゃって」と韻を踏んで〆るあたり超憎い。気が利きすぎ。
彼の曲はサビ後のブリッジ部分に核心を置く事が多い。この曲もその典型。そこでグイグイ盛り上げていって、最後にサビで花火が打ちあがる。人間カタルシス藤井風。
優しさ
Pick upフレーズ 7 and 8
ちっぽけで からっぽで 何にも持ってない
優しさに 触れるたび わたしは恥ずかしい
置き去りにした愛情を 探しに帰って
温もり満ちた感情を いま呼び覚まして
凍えた心が愛に溶けてゆく 花の咲く季節が戻ってくる
個人的に『青春病』と双璧で曲完成度が高いと思っているこの曲。あまりにも良過ぎるメロディセンスや色気あるMVに目と耳がいきがちなんだけど、初めて歌詞を聴いた時に上のフレーズに震えたのはよく覚えている。
普通の感覚だったら、「優しくされると嬉しい」または「優しくしてくれてありがとう」じゃないですか。それを優しくされる事で自分の小ささに気づき、「私は恥ずかしい」と表現する彼のセンスに脱帽する他ない。
下のフレーズはほんと美しい。MVの美麗さにとてもマッチした表現だと思う。
「あなたが好き」っていう事をそのまま歌詞で「好き」って書く表現、場合にもよるけど、僕は作詞ではないと思うんですよね。
藤井風の書く詞は「好き」とか「愛」とか「感謝」とか「恥らい」とかそういう複雑に混じりあったどどめ色の感情を彼自身の言葉で表現している事が非常にアーティスティックで、スピッツの歌詞とかにも通ずる独特の言語感覚を感じられるので何度も聴いて解釈したくなる。
さよならべいべ
Pick upフレーズ 9 and 10
来んと思った 時はすぐに来た 時間てこんな 冷たかったかな
さよならがあんたに捧ぐ愛の言葉
わしかてずっと一緒におりたかったわ
別れはみんないつか通る道じゃんか
だから涙は見せずに さよならべいべ
こちらは本人が地元岡山から上京する時の心情で作った曲との事。
この歌詞は、僕みたいに地元から別の地域に移り住んでいる人にも刺されば、誰か特定の人との別れの曲としても機能する懐の広さを持っている。
まず好きなフレーズが「時間てこんな冷たかったかな」よね。誰しもが思う、時間があっという間にすぎるあの残酷さを「冷たかったかな」と表す事でこんなにも残念と無情が含まれるというのがポイント。
そして岡山弁。こちらで書いた岡山弁の効果がありありと出ている歌詞。
方言で歌う事によって心からそう思っている事が聴き手に伝わり、音的な意味でのスピード感が出てリズムを生む意味も持ち合わせている。そして極め付けはタイトルにもなっている『さよならべいべ』。僕の生涯の上京ソング、BUMP OF CHICKENの『バイバイサンキュー』に近い何とも言えない別れの照れ臭さとカッコつけのニュアンスを感じて、好き。
もうええわ
Pick upフレーズ 11
もうええわ 何が大切なん?よう選んでもうええわ そう思うならサッサ手放して
もうええわ 自由になるわ
泣くくらいじゃったら笑ったるわ アハハ
この曲も「人生のあらゆる執着からの解放」を歌った何でも持ち過ぎの現代人に刺さる一曲。自分にとって本当に大切なものだけを選ぶ、って言うのは当たり前のようでいて全然当たり前ではない。本当に大事な事は「大切なものをどう手放すのか」ってことなのかもしれない。とても難しい事ですけどmore。
「泣くくらいじゃったら笑ったるわ」という強がりにも似た決意表明込みで泣ける。最後の「アハハ」の乾いたような渇いたような彼のボーカル表現が味わえる事にも注目。
帰ろう
Pick upフレーズ 12
ああ 全て与えて帰ろう ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう 幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの 一つ一つ 荷物 手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの わたし、わたしが先に 忘れよう
もう一曲丸ごと載せちゃおうかと思いました。
基本テーマとしては『もうええわ』と同じで「手放す事」について歌っているんだけど、もう少し彼の死生観や哲学、つまりどう生き、どう死ぬかを形にしたのがこの『帰ろう』なんだと思う。曲を聴けば聴くほどに爽やかな風が頬を撫で、浄化される感覚を生み出している。そして聴いた後はちょっとだけ人に優しくなれる、そんな楽曲。
昔「死生学」という授業を受講した事があるんだけど、最後は何も持たず無に帰るという事を認識した時に涙が溢れて止まらなくなった。そして今持っている物を認識してその有難みに気づいた感覚を、この曲を聴いて思い出した。このスピリチュアルな感覚を過剰に宗教色を出したり押し付けたりしないのにスッと心に染みてくるのも藤井風というアーティストのなせる業だと思う。本当にすごい。あんたマジで風だよ。
何度でも言うが、こんな曲を発見するために色々な音楽を聴いている。そう確信させてくれた。
いかがだったろうか
往年の名作、『風の谷のナウシカ』にこんな一節がある。
「私達の生命は風や音のようなもの、生まれひびきあい、消えていく」
この一節を改めて読んだ時に藤井風の歌と詞、とりわけ『帰ろう』を思い出した。
風はそよぎ、音はひびき、そして人の心を震わせ、消えていく。
同じ時代に彼の音楽と生きられる事を喜びとして、これからも聴き続けていきたい。