僕はレベル40

心が動いたことをかいていく

友人の死から学んだこと

ひどく個人的な話になるが、大切な事を学んだので僕のグリーフケアも兼ねて書かせて欲しい。

 

2019年2月14日、近しい友人Kが他界した。 

 

Kは大学からの付き合いだが、寮の相部屋だったこともあり、仲がいいというよりかは兄弟のような関係だった。いつもニコニコ笑う誰よりも優しい奴だった。

相部屋だと家具をシェアしたりするのだが、

 

K「俺が冷蔵庫買うけんテレビ買ってや~!」

 「おっけ~、ポットは俺持ってきたし一緒に使おう」

互いに人見知りせず、入寮した日からこんな会話ができちゃうほど不思議に気があった。

そして何よりも二人はMr. Childrenという共通項で繋がっていた。

冷蔵庫は1つでも、テレビは1つでも、「シフクノオト」は2枚あった。くるみの歌詞はやっぱり最高だの、掌のライブのアレンジが最強だの暇があればミスチルトーク。ライブに行った後は二人でカラオケでセトリを再現するも、キーが高くてお互い歌えないのを笑いあった。

 

そんな二人でも社会人になると勤め先が東京と大阪で離れてしまった。こうなるとまず物理的な距離ができてしまう。そして段々と心の距離に変わって行ってしまう。仕方のないことだ。お互い新しい環境に適用しようと必死だし、新しくできる人間関係がどうしたって大事だ。

そんなこんなでお互いがそれぞれの人生を送っていく内に、出張とかで偶然タイミングが合った時に久しぶりに飲むか〜って感じで3、4年に一回会うかの関係になってしまった。

 

これを「疎遠になる」というのだろう。

 

 

そして突然鳴り響く訃報の電話。まぁ実際はマナーモードにしてたんだが、仕事中にこれも疎遠にしており卒業以来連絡していなかった寮母さんからの着信があった。

 

「大変よ、K君が亡くなったらしいのよ!」

 

一瞬意味がわからなかった。不意打ちすぎて脳が理解することを拒絶しているようだった。

「俺は自分の目で見るまで信じねえぞ!!」なんて漫画みたいなセリフは吐けない。ただただ、「マジかマジかマジか・・・× ♾」と動揺していた。 

 

仕事は繁忙期で通常なら終電コースだったが、無理矢理抜けてお通夜には少し遅れて参列。会場入りした瞬間満面の笑みで映るKの遺影を見て号泣。Kの死が現実になった瞬間だった。

 

 お線香をあげる時に仏さんを見て、目を覆いたくなった。

 

そこには長い闘病生活を送った末のミイラのようになってしまったKがいた。

 

辛かったやろうなあ。やりたいこともまだまだあったろうなあ。

なんで連絡しなかったんや、いや自分がその立場ならそうするのか・・・?などとグルグル思いが巡る。

後で聞いたところ、死因は白血病だったそうな。

 

もうミスチルのアルバム出ても聴けんやんけ・・・新譜が出た年の命日には、チョコの代わりにアルバムを持ってお参りするからな。

 

伝えたい事

こんな個人的な事をここまで読んでくれて本当にありがとうございます。皆さんに一つ言いたい事があるとすれば、最近疎遠なそれぞれの「アイツ」に連絡してみて欲しいって事です。何が起こるかは本当にわからない。

 「便りがないのが良い便りなんて」表現があるが、ありゃあ嘘だよ。

絶対にそんなことない。

一度築いた関係を続かせるためにはエネルギーがいる。人間関係もメンテナンスしなきゃならないってことに気付かされた。

久しく連絡を取ってないアイツらにいっちょLINEしてみようかな。

 

K、どうか安らかに。

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