地味にBUMPについて初めて書く。ドキドキ。
つい最近、尊さのアベンジャーズとも言うべき、こちらの写真が話題になってた。
今30~35歳くらいの男子にとって当時のBUMPは神であり、藤原基央は神の言葉を託されたジーザスクライストと同義であった。
そしてその世代ドンピシャなのがRADWIMPSの野田洋次郎であり、さらにさらにその二人が産んだのが3億再生の怪物、米津玄師である。まぁこれは本筋とは関係ないんだが、この写真でなんと藤君の40歳バースデーを知ったよと。
めでてーなと思いながら、なんとなく昔の曲から最近のまでチェックしてたらなんと弾き語りの新曲が出てた。その名も『流れ星の正体』。コレがツボにずっぷり入ったのでつらつら書いていく。良かったら一度歌詞を読みながら聴いて、あなたなりの「流れ星」がなんなのか想像してから読んでほしい。
『流れ星の正体』
弾き語りバージョンということで、リリースされる時にはバンドサウンドが入るんだろうが、正直「待ってたのはコレ」。
「BUMPっぽい」要素といえばコード進行やアルペジオ奏法等色々あるが、BUMPをBUMPたらしめるのは藤君の声だ。古くはセカンドアルバム"THE LIVING DEAD"収録の『Opening』と『Ending』がアコギ一本の弾き語り曲としては存在しているが、声が一番引き立つのはアコギ一本なんやなと実感。息遣い、指使いもたまらない。弾き語り盤出してくれ、秒で買う。
さて、歌詞を見てみよう
結論から言っちゃうが、ここで唄われている「流れ星」とは「唄」のことだと思っている。あるいは「唄声」同じ人いた?いた?それではどうしてそう思うのかについてつらつら書いていく。
宇宙と星
BUMPの楽曲において、「宇宙」の要素は非常に重要である。取り分け、「星」というのは繰り返しモチーフになってきた。
なんていったってメジャー1stアルバム"Juiter"にこんな逸話があるくらいだ。
タイトルの由来は、アルバム名を何にするかと訊かれた時に、たまたま藤原が木星のことを考えていたため。(Wikipediaより)
そんくらいBUMPのスケールはデカイ、地球規模どころじゃねぇ。宇宙規模で考えてる。
脱線したが藤君にとって星とは、
①「遠くにあって追い求めるもの」の比喩(天体観測、プラネタリウム)
②「暗闇で光り輝く目印」の比喩(Stage of the Ground、三ツ星カルテット)
③「光り輝く君」の比喩(Supica)
それら以外にもたくさんあると思うし、解釈によって異なるが、こんな感じで表現されてる。
今作では「流れ星」なので、上記の恒星、または惑星とは違う物体である。なので、それらとは違うものを喩えていると考えるのが自然だ。
流れ星
では流れ星の特徴といえば?「飛行物体」、「しっぽ」、「消えてしまう(儚さ)」等々いろいろあるが、「飛んでいく」という箇所に注目したい。
まず、歌詞一行目の
誰かの胸の夜の空に 伝えたい気持ちが生まれたら生まれた証の尾を引いて 伝えたい誰かの空へ向かう
この箇所は伝えたい気持ちが唄となり、聴き手の元へ飛んでいくことをイメージしている。
時間と距離を飛び越えて 君のその手からここまで来た
紙に書かれた文字の言葉は 音を立てないで響く声
ここでいう「紙に書かれた文字」とはおそらく歌詞のこと。唄として飛び立つ前のうずうずするような感覚を「音を立てないで響く声」と表現している。(気がする)
命の数と同じ量の一秒 君はどこにいる 聴こえるかい
君の空まで全ての力で 旅立った唄に気付いてほしい
極めつけはここ。なにしろそう書いてある。「君の空まで全ての力で旅立った唄」として伝えたい誰かの元へ飛んでいっている。
ここで触れなければならないのが、前作"Butterflies"収録の『流星群』だ。
おそらくこの『流れ星の正体』と『流星群』は対になってる。
『流れ星の正体』の主人公が唄い手側なら、『流星群』は聴き手側だ。
流星群には、
出さなくたって大きな声 そこからここに響くよこれほどに愛しい声を 醜いだなんてあの雲の向こう側の全部が 君の中にあるんだよたとえ誰を傷付けても 君は君を守ってほしい
とある。ここは完全に聴き手側の思いが綴られており、藤原基央流の多くは語らないストーリーの中で、きっと「自分の声が嫌い」な唄い手がなんとか相手に届けようとしている様子が伺える。
だから、
空は曇って塞いでいる 流星群 極大の夜
という箇所では「伝えたい心にためらいが生じているけどそれでもキラキラと極大に輝く唄を内面に隠し持っている」という状況を「空は曇って塞いでいる 流星群」と表しているんじゃないか。
そんな状況だからこそ、聴き手側は、
信じた言葉が力を失くしても 自分が自分を認められなくても集めてきた星が砕けて消えても そこからここに響くよ
と唄が心に響いている、届いているということを伝えているのではないかと推測できるのである。
つまり、『流星群』という曲は『流れ星の正体』のアンサーソングであると言えるんじゃなかろうかということだ。
唄を流れ星に喩えて、相手に届けようとし、それが届いている様を物語として表現しているのが、この2曲なのかなと。
それこそ『プレゼント』と『ラフメイカー』の関係にとてもよく似ている。
いかがだったろうか
まぁ今回書いた事はすべてあっしの妄想に過ぎないんだけど、「そうだったとしたらとても素敵なことね。」って思えるのが藤原基央という稀代の詩人がひねり出す歌詞達だ。ただ言いたいことをそのまま歌詞にするでなく、「物語」の中に落とし込んで表現するからこそ胸を打たれるってのは確実にあると思う。
あぁなんか久しぶりに全俺にBUMPブームが到来しそう。もうすぐ出るであろう新アルバム超楽しみにしてる。