悔しい。悔しいけど仕方ない。
日産スタジアムで実施されるはずだったFujii Kaze "Free" Live 2021がオンライン開催となった。
僕がこのライブを楽しみにしていたのは、まずそのコンセプトに共感したからだ。
いろんなことが制限されて、いろんなことを我慢して、いろんなことに縛られてきた、この夏。でも、人間は、僕たちは、もっと自由でいいはずだ。9月4日、空の下、芝生の上。この1時間を通じて、いろんな人の心が“Free”になっていくことを願って。
何にも縛られなず、吹きすさぶ「風」らしい素敵なコンセプト。
あらゆる状況でコロナ禍による制限がかかる世界において、人間が人間らしくいられる自由を取り戻すという意味で、心の底から意義深いイベントだなと思う。
僕は理屈っぽいというか、そのアーティストの美学や矜持みたいなものを大切にするサガなので、藤井風と彼を支える仲間達の熱い熱い思いをホームページ上からすら感じられて、感動するとともに目頭がちょっと熱くなった。この状態で日産スタジアムの数万人の観衆の前に立つ風君を見たら多分それだけで泣いちゃうかもな、とも思っていた。
・・・で、デルタ株による感染爆発である。
イベントの企画段階ではデルタ株による感染爆発は当然予想されていなかっただろうし、各種ガイドラインが定まってエンタメ業界としても一定の線が引かれた・・・かに思えた矢先、アゲるだけアゲて梯子外されたこの状況、関係者の落胆と絶望は想像すらできない。
ただのライブではない。おそらく企画のブレーンだったマネージャーのずっずさんらの関係者は、真の"Free”を謳ったライブだからこそ対面でのライブを、自由を勝ち取るための闘いをギリギリのギリまで調整したに違いない。
そういう意味で、普通のライブが中止になるのとは意味合いがだいぶ違ってんじゃないかなと。
冒頭の悔しい感情は、別に藤井風を生で見れないからじゃあない(そりゃ見たいけども
そういう熱い思いが完全な形で成就しなかった事に対して、仕方ないとはいえどうしても悔しさを感じてしまうのだ。
まぁでも理想とは違う形にはなったけどオンラインでの開催についても本当に楽しみにしている。当日に至る色々な思いもで本人の口から語って貰いたいし、 元々の「土俵」であるオンラインで、どんな"Free"を表現してくれるのか、ポジティブにそっちに興味が移ってきてる。
この時代の"Free"の一つのカタチを9月4日に顔を上げて、目撃したいと思う。
じゃないと笑われちまう。
当日演奏されるであろう新曲、『燃えよ』の特に好きなラインを引用して〆たい。
しょげた顔をひっさげて石ころを蹴っ飛ばして
太陽が泣いてるよ ほら見上げてみて
簡単じゃないかもね でも難しくはない
迷いながら探すの それはみんな同じ
僕も迷ってる、みんな迷ってる。だけどそれで良い。
9月4日は特別な日になりそうな予感がしてる。