僕はレベル40

心が動いたことをかいていく

風と僕と青春病

22万字。

 

僕が今まで藤井風という一人のアーティストについて書いてきた文字数らしい。相当やばめ。三度の飯より風がいい状態。

ブ厚めの小説になるこの文章量、まさかこんなに惚れてまうとは…と思わざるを得ない。しかし、嫌になったことは一度も無い。

彼の才能を、努力を、人間性を描写するのに筆力が足りな過ぎて藻掻くことはあれど、動機は愛がいいをモットーにして楽しく書かせていただいている。

 

なぜ藤井風の音楽を聴くともはや無敵とすら思えるんだろう。こんなにも大きな樹によりかかっているような感覚に陥るんだろう。この風に乗って進みたいと願うんだろう。

                                               

それはきっと人の価値観に直接作用するから。

 

例えば、手放すという考え方は常に見返りを求めてしまう、認めてほしいと思ってしまう、ちっぽけな存在を生きやすくしてくれた。

 

例えば、人生は色々あるけど、理想の自分を目指しましょうやという考え方は、忘れていた熱い感覚を思い出させてくれた。

 

例えば、僕は僕で僕は君という考え方は、捉え方や心持次第で孤独すら感じなくすることができると教えてくれた。

 

別れはみんないつか通る道じゃんか、というたった一つのフレーズがどれだけ僕の心を軽くしてくれたことか。こんなメッセージがあの素敵な音楽に届けられるのだからたまらない。

始めて音楽にハマった中二の時からずっと音楽に救われてきた人生ではあったけれど、様々なアーティストを「流れ流れて」ここに辿り着いたことは偶然でなく必然に思える。

 

普遍性と新鮮さを両立する謎の音楽、藤井風。

 

往年の名作、『風の谷のナウシカ』にこんな一節がある。

「私達の生命は風や音のようなもの、生まれひびきあい、消えていく」

 

風はそよぎ、音はひびき、そして人の心を震わせ、空の果てに消えていく。

儚くも、それが藤井風という青春なのかもしれない。

 

いつの日か粉になって散るまで好きでいたい。

 

それでは、次会える日までお元気で。

 

J太郎

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